オプトのマーケティング開発領域 上級執行役員 竹村義輝が考える、エンドユーザー起点のマーケティングとは
フィーチャーフォン時代からオフライン連動型モバイルサイトの構築を多数経験した後、スマートフォン黎明期に㈱D2Cにて、スマートフォン専門の広告支援組織(現㈱D2CR)の立上げに従事。2017年11月より、㈱インサイトコア代表取締役社長に就任。2023年6月、M&Aにより同社を㈱デジタルシフトに吸収合併。2024年4月より、当社マーケティング開発領域の上級執行役員:SVPに就任。
※本文は取材当時の情報です。
2023年6月、デジタルホールディングスグループにジョイン。翌年4月、新生オプトのマーケティング開発領域 上級執行役員に着任した竹村義輝。そのバックボーンは、他者とは一線を画すユニークさが際立ちます。しかし、各フィールドでつかんだ経験と実績は、本質を見抜く眼力と、どのフィールドでも活躍できる胆力を育てました。そのキャリアとこれからを紹介します。
宮大工から大学生を経て、インターネットの世界に
――サッカーが盛んな浦和でボールを蹴って育ち、10代後半からはアメリカ西海岸のHIPHOPカルチャーにのめり込んだという竹村。当時はダボダボの服に銀メダルのようなネックレスを合わせ、黒い肌に頭も丸坊主。毎日、地元の仲間と時間を共にしていたといいます。この頃は、いわゆる鼻っぱしの強いやんちゃな少年。当時のストリートカルチャーの花形である建設現場で働くニッカポッカを履いた職人に憧れ、初めての仕事として選んだ職業は宮大工でした。
「世間知らずの生意気な小僧で、描いていたイメージとのギャップから、何も形にできないまま辞めてしまいました。その次に選んだ進路は大学受験です。特別学びたい何かがあったわけではありません。ただ、選択の幅が広がるんじゃないかと思いました。無鉄砲でやんちゃな自分を少しの間なだめ、人生で一度ぐらいとことん勉強してみようと20歳の時に一念発起しました」
――新たな挑戦から1年後、晴れて大学生になった竹村は、HIPHOPが紡いだ縁を活かし、クラブイベントのオーガナイズやラジオ番組の企画運営を手がけるようになっていました。ただ、当時の集客手段といえば、チラシをレコード屋に置かせてもらったり、街で声をかけたりと、まだまだアナログが主流。「もっと効率的な方法があれば」と思いをめぐらすことも多かった、と振り返ります。
「あの頃は『iモード(※1)』がずいぶん普及していて、モバイルサイトが徐々に一般的な存在になりつつありました。いわゆるガラケーと言われる時代でしたが、携帯電話という小さなデバイスが、24時間365日、一人ひとりの手元にあるメディアとしての役割を持ちはじめていました。このデバイスがもっと進化した未来では、自分たちのイベントの面白さを、例えば動画のような臨場感のある形で告知できるようになるのではないか。そのようなポテンシャルを秘めていると、学生ながらに感じていました」
※1: iモード
1999年1月にサービスを開始した、NTTドコモの携帯電話向けネットサービス
――このような経験をきっかけに、インターネットの世界に興味をもった竹村。就職活動では、モバイル×インターネット×広告を軸に、誰も知らないようなベンチャー企業に入ることを念頭に置いたといいます。
「キャリアの最初こそ、会社の看板で仕事をするのではなく、自分が会社の看板をつくれる仕事ができれば、何があってもこの先食いっぱぐれることはない、と考えました。加えて、あれこれ会社や先輩の型にはめられ、指示されながら働くのではなく、少人数で会社づくりに自分も加わっている実感を得ながら働きたいとも思いました」
――大手企業には目もくれず、自分で調べ、問い合わせ、面接にこぎつけたのが、インサイトコア(旧エンターモーション)です。当時のオフィスはマンションの一室。社員も3、4人の小さな会社で、新卒採用は行っていなかったにも関わらず、結果的に、竹村は新卒1号として迎え入れられます。
「インサイトコアでは、自分の想像していた通りの働き方ができました。ハードワークがしたいという気持ちも満たされましたし、何も整っていない状態から組織づくりにも取り組めました。さらには、自分が触れたかったモバイル×インターネット×広告の面でも、ありとあらゆる経験を積むことができました」
過去の自分にけじめをつけたい。再び、建設現場へ
――そうやって駆け抜けること3年、「一つ目のゴールテープは切れた」と感じた竹村は、インターネットの世界と折り合いをつけ、転職を決意。新たなトライとして選んだのは、鳶職でした。宮大工を中途半端に投げ出してしまった後ろめたい経験を、「やり切った」と胸を張れる経験へと昇華したい。まるで忘れ物を取りにいくかのような想いで、再び建設現場に戻ったのです。
「鳶職を選んだのは、当時、この職種が建設業界の中でも最も過酷であり、心身ともにタフさを求められたからです。せっかくなら一番大変な世界に飛び込んでやろうと思いました。その“やり切った証”として、『足場の組立て等作業主任者』の国家資格を取得できたことは、大きかったです。この資格は、難易度の高さはさることながら、怖い親方の許しがないと試験すら受けられません。つまり、これは厳しい現場で成果を上げて周りの人に認められた結果ともいえます。この仕事を『やり切った』と、ようやく自信を持って言えるようになりました」
インサイトコア復帰。組織の立て直しと業績回復に奮闘
――こうして、また一つゴールテープを切った竹村は、次のフィールドを再びインターネット業界に定めます。携帯キャリアと広告代理店の合弁会社を経て、「業界に戻るのなら、うちに帰ってきてくれ」と、熱望され続けていたインサイトコアへの復帰を決めます。
「この頃の関心は、リアルとの接点があるビジネスが、モバイルインターネットをどのように活用して顧客とつながっていくのか、に向いていました。時を同じくして、インサイトコアもまた、O2O(※2)の施策――飲食や流通のように、有店舗を持つ事業者のマーケティング活動におけるモバイルデバイスの活用に取り組んでいて、強化を図るタイミングでもありました。こうした手触り感のある取り組みに、事業としての社会的な意義や将来性を感じましたし、新卒1号として入社した思い入れのある会社がこんなにも熱心にカムバックのラブコールを送って誘ってくれるのなら、と戻ることを決意したのです」
※2: O2O
Online to Offlineの略称で、オンラインからオフラインへ消費者の行動を促すことを指す。
――その後の竹村は、O2Oやオムニチャネルの顧客支援をはじめ、新規事業を統括するなど精力的に活動。マーケットの拡大も追い風となり、会社の売上も伸び続けます。しかし、そこから利益を得る収益構造が弱く、やがて経営に赤信号が点灯。経営立て直しの旗振り役として白羽の矢が立った竹村は組織のリストラクチャリングと事業モデルの転換を主導し、復帰から5年目の2017年には代表取締役社長に就任。外部調達した資金を活用して、CRM(※3)サービスを開発し、顧客拡大に成功するなど、良い兆しが表れはじめます。
※3: CRM
「Customer Relationship Management」の略で、顧客情報を統合的に管理し、良好な関係性を長期的に築き上げ、サービスや製品の利用を継続的に促す経営手法を指す。
「当時、飲食業界ではグルメサイトを活用した一過性の集客により、費用対効果が低下していました。よりリピーターの創出に重きを置いた集客にシフトする流れが広がっているなかで、ある飲食チェーンのクライアントが、紙媒体で細々と行っていた飲み放題の定期券に着目したんです。『これをインターネット上でサブスクリプション化して販売したら、来店客のリピート率を高められるんじゃないか』と、そのクライアントとお互いに興奮しながら話していました。その後、インサイトコア内で、即座にサブスクリプション型の定期券販売を実現するためのプラットフォームサービスを開発し、実際にその施策を開始したところ、瞬く間にその取り組みがSNS上でも拡散され、最終的に、大手外食チェーンを中心に約3,000店舗にまで導入していただきました。実際のエンドユーザーへの影響を分析・検証するため、導入店舗の現場に直接赴き、店舗スタッフと同じ格好で来店客に声かけを行い、施策の案内をしていたところ、店長に間違えられたのは今となってはいい思い出です。
しかし、そんな順調だった矢先にコロナ禍となり、事業の見直しを迫られました。ただ、一貫してデジタルを生業にしてきましたから、これまでの知見と実績に基づき、新たにOMO(※4)領域のマーケティングに特化したコンサルティング型の実務サポートサービスを立ち上げ、こちらに軸足を移すことにしました。ビジネスモデルとしてはいわゆる受託開発と呼ばれるものですが、自分たちが強みとするDXにつながるもの、それも“御用聞き”ではなく、クライアントを先導しながら開発を行うことを旨としました」
※4 :OMO
Online Merges with Offlineの略で、消費者を軸にオンラインとオフラインを融合させて顧客体験の向上を目的とするマーケティング手法を指す。
――これらの開発サービスは、Webやネイティブアプリにとどまらず、LINEミニアプリにおけるプロダクトの企画・開発支援へと広がりをみせ、業績もV字回復を実現。過去10年における最高益を打ち出します。また、この最中に協業をスタートしたのが、デジタルシフト社(現オプト)であり、やがてM&Aの話につながっていきました。
「資本の受け入れにあたっては、当時お世話になっていた株主の方々も巻き込む話でしたので、経営者として熟慮を必要としましたが、デジタルシフト社はLINEのマーケティングに、インサイトコアは顧客体験の開発に強みがあり、両社が重なることの価値や、マーケットへのインパクトは明白でした。前向きに話を進め、2023年6月、デジタルホールディングスグループへの仲間入りを果たしました」
マーケティング開発領域 上級執行役員として組織をけん引
――そして、竹村は4月1日からはオプトの一員となり、マーケティング開発領域を管掌する上級執行役員として組織のけん引を期待されています。これからどのような役割を担い、そして価値を発揮していこうとしているのか、その心内について竹村はこのように話します。
「インサイトコアはLINEのみならず、ユーザーを起点にあらゆるプラットフォームでサービスを考えつくりだすノウハウ、さらにはインターネット完結のサービスではなく、リアルのタッチポイントと交錯するときに、どのようなサービスなら望ましく、ユーザーとの関係を長期にわたり深めていけるのか、確からしさを示せる経験と実績を有していました。これらをオプトのアセットとうまくドッキングすることで、オプトが新たに標榜するLTVマーケティング実現の一画を担うことができると考えています」
――加えて、クライアントと向き合う姿勢についても、インサイトコア時代の流儀を貫き、オプトの『5BEATS』の一つである「先義後利」の本質として浸透させていきたいと話します。
「僕の考える『先義後利』は、決してクライアントの言いなりになるのではなく、厳しく耳の痛い話であってもその先にいるユーザーを主語に想いを馳せ、パートナーとしての真価を発揮し、クライアントと共創していくことです。クライアントへGiveするばかりではなく、正しい問いを投げかけ、時にはNOを突きつけることが、相手への義理を果たすことだと思いますし、そのようにしてクライアントとフェアな関係を築いていくことがビジネスの望ましい姿だと思っています」
エンドユーザーを主語に、LTVマーケティングをとことん追求していく
――新卒時代の「モバイル×インターネット×広告を掛け合わせたビジネスをしたい」という衝動はいま、「エンドユーザーのために良いビジネスをしたい」へと進化。この先の竹村は、オプトの広範なアセットのもと、エンドユーザーを引き続き“第一義的な存在”として捉えながら、縦横無尽に励む姿が期待できそうです。
「一貫して目指しているのは、『Redesign the Customer Experience』です。デジタルテクノロジーを活用してユーザー体験をより良いものとし、それを通じて顧客のビジネス成長を担っていく。ここにどれだけコミットメントできるのか、を旨としています。新旧の仲間とともに挑戦できることは非常にエキサイティングであり、ワクワクしています。
そう考えると、僕にとってビジネスは、『仲間たちとの絆をつくる一つのツール』であり、仲間が何より大切という想いは、僕の中で一貫しています。鼻っぱしの強かったやんちゃな時代から、地元の仲間と良い時間を共有し、ときに支えられてきた原体験が、ビジネスをするうえでも大きく影響しています。前職で経営者としてあまたのハードシングスを乗り越えられたのも、共に働く仲間との幸せを希求し続けたからだと考えています。彼らの幸せ、自分の幸せを分かち合いながら、何かに取り組んでいくことが、究極的には『Redesign the Customer Experience』につながると確信しています」
――そのような「仲間」とともに新たな一歩を踏み出したいま、その先で自分と仲間のどのような姿を期待しているのか――。多感な時代をHIPHOPとともに過ごしてきた竹村らしいキーワードでその世界を表現します。
「それは、WAVYという言葉に集約されます。もともとWAVYという言葉はHIPHOPのスラングで“イケてる”という意味なのですが、そのままだと抽象度が高いので、『自らの価値観、スタイル、センスを大切にして、自分らしさを楽しみながら事業に打ち込んでほしい』という僕の経営者としての想いを込めリデザインしました。この状態があって初めて強い個が生まれ、そのような強烈な個が仲間としてつながり、フォロワーシップを発揮し、相利共生することで、エンドユーザーやクライアント、そして社会に、個人では決して成しえない大きな価値を届けられると思うからです。
インサイトコアでの経営経験を通じて、組織はリーダーを映す鏡だと痛感しています。周囲の仲間達がWAVYでいられるようにするためには、誰よりもまず僕自身がWAVYを体現し、組織の目指す先はどこなのかを責任をもって指し示し、導いていきたいと思っています。価値観を共有した仲間が集まり、熱狂的な仕事ができる環境って、本当に幸せなんです。そのフィールドをぜひオプトでもつくっていきたいです」