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変わらない価値観は「たった一人の心を思いきり動かす」こと。 変革を推進する“情熱オーナー”の奮闘に伴走する、ブランディングにかける想い。

2022.03.02
株式会社デジタルホールディングス
グループ・ブランディング部 部長
北浦 豪文 Kitaura Takefumi
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京都産業大学卒業後、音楽活動、テニスインストラクターを経て株式会社関広入社。その後2007年テイクアンドギヴ・ニーズ入社。主にブランディング広告を担当し、JFN38局ネットで放送された『ラジオドラマ 小さな奇跡』などを立ち上げる。2009SGホールディングス・佐川急便入社。広報・宣伝業務に従事。2016年ミクシィ入社。プロダクトPR、事業広報などを担当し「アニメ モンスターストライク」宣伝プロデューサーに就任。2020年オプトホールディング(現:デジタルホールディングス)に入社し社名変更PJなどリブランディングを推進。現在に至る。

2020年7月に社名を変更し、主事業を「インターネット広告代理事業」から「デジタルシフト事業」へと転換したデジタルホールディングス。企業の目指す方向性やビジョンが変わる中、「日本社会のデジタルシフトを牽引する存在」になるべく、挑戦を続けるデジタルホールディングスの変化とその意図をさまざまな方法で世の中に伝えていく役割を担う部署が「グループ・ブランディング部」です。この変革期に部署を率いるのが北浦豪文。彼はコロナ禍の2020年に入社するまで、幅広い業界で広告宣伝や広報活動に関わってきました。北浦が仕事をする上で大切にしてきたのは「たった一人の心を思い切り動かす」こと。大勢の人たちに伝えるにあたって、なぜ「たった一人」が大切なのか。彼がこれまで経験してきた仕事を通し、その意図と社内外へのコミュニケーション、ブランディングの大切さを語ってもらいました。

バンドマンから広告宣伝の道へ、共通点は「たった一人の心を思い切り動かしたい」

大学を卒業してから7年弱、バンドマンとしてメジャーデビューを目指していました。とはいえ、いきなり音楽業界に飛び込む勇気はなく、就職活動を行って広告代理店の内定を獲得。入社前に研修を受けたところ、横に座った人が「俺たちなんて、いてもいなくても一緒だよね」と言い出したのです。その言葉を聞いて「このような環境で仕事をしたら、心が死んでしまう」と悩みました。

一方、通っていたボイストレーニングではプロのアーティストに出会ったり、時にサポートメンバーとしてTV出演させていただいたり、私が創った曲を聴いてもらったりする生活がものすごく刺激的で。彼らを見ていて「自分にしかできないことをやっている」というプライドとともに、キラキラしたものが溢れ出ている気がしました。そこで、「人生一度きり。やっぱりやりたいことを突き詰めよう」と音楽の道に進むことを決意しました。もちろん当初両親は大反対。しかし何度も話し合い、結局は一番の理解者となってくれて、学生時代から続けていたテニスコーチと並行してバンド活動を続けていくことにしました。

音楽の世界はとても刺激的で、特に二つ目に結成したバンドはかなり好調でした。50通送ったデモテープのうち、たった一社でしたがメジャーレーベルのディレクターさんから連絡があり、「メジャーデビューまで面倒みますよ」といったサポートをいただいたり、その方のネットワークのもと、インディーズレーベルの社長にも気に入っていただけて、「次のライブが良かったら、うちからCDを出そう」と声をかけられるところまではなんとか辿り着けました。しかし、そんなさなかメンバーの一人が突如蒸発。その瞬間はじめて未来への「恐怖」を感じました。それまで何度もメンバーの入れ替わりやトラブルもあったのですが、今後の音楽生活を左右するほどの「次のライブ」への期待が大きかったんだと思います。多くの方々に作品が受け入れられて、音楽で生計を立てられている人もいれば、そういった何億を稼ぐ方と全く遜色がないほど歌や演奏がものすごくうまくても日の目を見ない人がいる現実。数ヶ月間、大好きだった音楽も全く聴けなくなり、どうしたらいいのか悩み引き籠りました。ただ、私の場合、そんな日々も長くは続けられず、「このままじゃ人生腐る」と、改めて自分が好きなことを見つめ直し、音楽以外でやりたいと感じたのが「広告」だったんです。

アーティストは、世の中にないものを一から生み出していきます。音楽でなくても「その人がこの世に存在しなければ生まれない」、そういう仕事をしたいと思いました。バンド活動では作詞・作曲をしていたこともあって、もともと文章を書くのも好きでした。作詞をする時は実家の和室であらゆるアーティストの歌詞カードや小説を広げて言葉を紡ぎまくっていました。そんな、折角数年間培った力をカタチにしたいと思い、最初はコピーライターを目指して宣伝会議のコピーライター養成講座に通いました。クラスメイトたちはそれぞれ“自分の言葉”を模索しながら、それをひたすら磨いていて。「ここなら、自分がやりたかったことを違ったカタチで実現できるのでは」と思い、クラスのなかで半年で金の鉛筆5本取れれば業界で通用すると言われていた話を盲目的に信じ、講座に通いながら就職活動をし、京都の広告会社で社会人生活をスタートしました。そこで出会ったのが、後に転職することになるハウスウェディング企業です。

そのウェディング企業は当時、一軒家貸切やサプライズ演出が魅力的で、従来の結婚式に新たな価値を提供していました。しかし、競合調査に赴き、京都の会場のウェディングプランナーの方々のお話を聞くと、この企業の最大の魅力は、一人ひとりのウェディングプランナーさんが、ご新郎ご新婦それぞれの人生に寄り添っていることなのではないか、おふたりの人生そのものを「演出」されている点ではないかと感じたんです。

具体的なお話があります。あるウェディングプランナーさんが、ご新婦さまから「結婚式には父にスピーチをして欲しいのだけれど、父は恥ずかしがり屋だからきっと無理なんです」というお話を聞き、実家のお父さまに「結婚式当日にどうしてもスピーチをしていただけないでしょうか」とお願いに行かれたとのことでした。最初は嫌がっていたお父さまも、お話ししていくうちに「そういえば娘が小さい頃に、6枚綴りの“何でもサービス券”をくれたことがあった。『疲れたら肩たたきもするから、いつでも言ってね』と。自分はそれを1枚も使わずに今も持っていて、本当ならば今それを使いたい。結婚するなと言いたい。でも、そんなことはしないよ。“結婚おめでとう”と伝えたい」というお話をされて。「そのお気持ちを当日スピーチでぜひお話ししてください」とお願いされて、実際に結婚式で語ってもらったところ、会場中が大号泣となり、ご新婦さまも非常に喜ばれたというお話がありました。私は、このたった一人のエピソードを、当時のPJメンバーと一緒に、全15段の新聞広告にして自主提案をしました。最終的に、その広告は世の中に出ることはなかったのですが、この自主提案が転職のきっかけになりました。

私は「たった一人の心が思い切り動くコミュニケーションは何か?」と考えるのが好きです。音楽の時もいわゆる“みんなに届く曲”ではなく、「目の前にいる好きな人に届けるためには、何を言ったらいいか?」とか「友だち付き合いがうまくなかった時の自分に届けるなら、どんな言葉を選ぶか?」と具体的な相手を想像して、その上で伝え方を工夫してきました。当時からずっと「たった一人の心を思い切り動かす」を仕事のモットーにしていたように感じます。

「必ずうまくいく」と信じて、突き進んでいく

その後、ご縁があって宅配便事業を行う大手物流企業に転職することになりました。ここでも広告に携わりたかったのですが、配属後「Webを担当してほしい」と頼まれて。前職の転職のきっかけを創ってくださった尊敬する上司からは、その上司が退職される際に「何でもいいから、一つ自分がナンバーワンの領域を持て」と言われていたこともあり、“それならこの会社のなかでWebのナンバーワンになろう”と考えました。まだGoogleに買収される前のUrchinを試行錯誤しながら触り、パートナー会社のレクチャーも受けながら分析を行い、並行してFacebookページや事例紹介サイトの制作、WEBページの収益化など、いろいろな仕掛けを作っていき、Webに関するありとあらゆることを経験させてもらいました。その後、事業方針の再策定があり、コミュニケーションメッセージを変えるタイミングで、TVCMをはじめ、すべてのマスコミュニケーションを担当させてもらいました。

その経験を元に、自分の可能性をより広げたいと考え、大手IT関連企業に転職。ここで特に印象的な仕事は、アニメの宣伝プロデューサーとして手掛けたプロジェクトでした。当時、IPを国民的IPに成長させるために、より多くのターゲットの方々を巻き込む必要があり、そのためのきっかけとなるイベントを開催しようと考えました。作品のファンの方々だけでなく、イベントの参加者を巻き込むことによってさらに大きなムーブメントになるのではないかと考え、声優オーディションを実施することにしたのです。

社内では「成功する確率は低い」と懸念されていたのですが、私はその当時の会社にとって絶対的に必要な仕事だと確信し、なんとしてでもやりきりたいと考え、周囲を巻き込むため各所に足を運びました。指摘のおかげでロジカルにコンテンツを分析し、強化することもできました。結果、声優オーディションは1,000名の応募があれば成功と言われているところ、蓋を開けたら2,000名を超える応募をいただけました。当日に向けても、観客の方々がオーディション参加者に感情移入できるように、一人ひとりを紹介するムービーを作るなど、少しでもオーディションがエンターテインメントとして成立するようメンバーと試行錯誤を重ね当日を迎えました。社内外の多くの方々の協力もあって、最終的には、SNSでも『一般公募とは思えないほどファイナリストのレベルが高かった』『涙なしには見られなかった』など、オーディションのファイナリストだけでなく、観客の方々にとっても、記憶に残る一日に繋がったと感じています。私は、たった一人に届けることを大切にすると同時に、「これは絶対うまくいく」と思った最初の一人である自分自身だからこそ、誰よりも熱量を持って突き進んでいくことがとても大切だと感じています。

主要事業を変更する転換期に入社。経営・事業責任者の熱意を伝えるために行った3つのこと

私がデジタルホールディングスに入社したのは、2020年4月。主事業を「インターネット広告代理事業」から「デジタルシフト事業」に転換し、社名変更も決定された大きな変革期でした。この大きな変革に、経営層の決意と覚悟を非常に感じたのを覚えています。インターネット広告代理店の大手でありながら、それを変革すると自ら宣言をして社名まで変えてしまうのは、相当な覚悟がないとできることではありません。それでも経営層の誰もが「この方向に行かないと、日本社会の先行きがない」と、国レベル、社会レベルで物事を見据えた上での決断でした。

その変革期に、デジタルホールディングスのコミュニケーションを統括する部の責任者として、三点に注力しました。

一つは、デジタルホールディングスが運営しているWebメディア「Digital Shift Times(デジタルシフトタイムズ)」の運営。メディアミッションには、「その変革に勇気と希望を」を掲げています。未来を見据えて経営の舵取りをされている経営者層やデジタル部門・マーケティング部門の責任者の方々においても、デジタルシフト・DXの必要性はわかるものの、明日の一歩を踏み出すために悩み、迷い、もがかれている方々も多くいらっしゃるのが現状だと思います。今でこそバズワードになりましたが、コロナ禍以前はDXやデジタルシフトの定義もあいまいな状態でした。主軸事業をデジタルシフトとした私たちだからこそ、そのカテゴリーをメディアとし、情報発信の側面から日本社会・企業のデジタルシフトを後押ししたい。その使命感のもと、国内のデジタルシフト事例や、立教大学ビジネススクール教授、田中道昭氏の力もお借りしながらの対談コンテンツ、そして、日々発信されるデジタルシフト・DX関連の最新情報などをお届けしています。

メディアとして目指す目標はさらに先にあるものの、2019年の6月に立ち上げて2年半、ユニークユーザー数は約18倍に伸び、数字からも成長を感じはじめています。プロジェクトに関わるメンバーも、分析や取材、日々のニュース選定と細部に渡って自分事として取り組んでいます。直近では、DXにチャレンジされている大手企業からも取材依頼があるなど、「この媒体から取材されたい」と認知され始めていると感じられるようにもなってきており、新たな一歩を踏み出し始めているのではないかと思っています。

二つ目は、大きく事業を転換したデジタルホールディングスが目指すものを見据えた上で、グループ内の事業部の皆さんが進めている事業がどのフェーズにあるのか、現在地を把握して、外部に向けてきちんと情報発信をしていくことです。いわゆる広報・PRの領域になりますが、グループの変化を伝えていく根幹であり、注力していくべきポイントだと思い、社外パートナーの方々との取り組みのアップデートを含め、てこ入れを行っています。

三つ目は社内に向けた情報発信です。社名変更から約半年、外部発信に注力していましたが、振り返ると、大きな変革期の中、経営層を含め、社内の温度感に差があることに課題を感じ、インナーブランディングに注力するようになりました。何が課題なのか、経営層から現場に対してもインナーブランディングのチームが中心となって何度もヒアリングを行い、その問題構造の要因を自分たちでも少しずつ見える化できるようにしました。

そのようななかで、新たな取り組みとして行ったのが、「新しい価値創造」への情熱と挑戦を讃えるグループ社員総会「New Value Forum」です。このイベントは、グループ内で「新たな価値創造」への挑戦をしている一人ひとりが自らエントリー、または推薦され、最終審査ではその取り組みをプレゼンテーションしてもらい、その年の「New Value Challenger」としてグランプリを決定するというものです。最終的に、エントリー数が150件、グループ全体でいうと10%の社員がエントリーしてくれました。社内で新たな挑戦が生まれていることとその内容が可視化でき、実際のプレゼンテーション中には社員同志がコメント欄に応援メッセージや感想を寄せ合うなど、インタラクティブなやり取りも盛んに交わされました。なお、本イベントには、過去にビジネスパーソンとして私に武器と転機を授けてくださった外部の方にもお力添えをいただくなど、個人的にも感慨深い点がありました。

変革期かつコロナ禍の中で、「このグループは本当に変革に向かっているのだろうか」と疑心暗鬼になっている人たちもいたと思います。しかし、同じグループのなかにいる挑戦者の熱意に触れて「何かコトが成し遂げられるのではないか」と期待感を持ち、一人ひとりが新たな一歩を踏み出し始められる兆しが出始めたのではないかと感じています。

デジタルホールディングスは「DXを推進し、IX(産業変革)を実現することで、日本が持続的に成長できる社会に変える」企業

「たった一人の心が動くコミュニケーションとは何か?」。全ての仕事において、この点を突き詰めていく姿勢は現在も変わりません。「Digital Shift Times」では、編集会議でいつも「何から手をつけたらいいのか分からないという方々が、『Digital Shift Times』をご覧になって、“自分も一歩踏み出せるかもしれない”と感じられるか」といったところにこだわって制作しています。

私たちグループ・ブランディング部としては「Digital Shift Times」と広報活動、そしてインナーブランディングの三つをアップデートしていくことがミッションです。それぞれをいかに循環させることができるかが、大切です。

デジタルホールディングスは、新しい価値創造を通じて産業変革を成し遂げ、社会課題を解決したい。そして、私たちの子どもたちや孫世代はもちろん、どこまでも希望が続く未来に繋がる社会をつくりたいという事業家たちの集まりです。そのような事業化や経営層の熱い想いを世の中に届けるためには、どういった方法で、どういった言葉で表現していくことができるのか。私は、いわばその想いの「告白」のお手伝いをすることが、ブランディングの役割のひとつであると考えています。私たちグループ・ブランディング部がハブとなり、日本を持続的に成長できる社会に変えていきたいと、熱い志を持って事業を生み出しているグループ各社の事業家の想いに伴走し、世の中に届けていく。そうすることで、私たちグループ・ブランディング部も、少しでも明るい未来を創ることに貢献できるのではないかと信じています。