LGBTQ+について知り、考え、理解し、明日からできることへつなげる。『カランコエの花』上映会&トークセッションレポート

株式会社アウト・ジャパン
代表取締役
屋成 和昭 Kazuaki Yanari
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1974年京都生まれ。関西大学卒業。約20年にわたり、 新卒採用コンサルティングを行うベンチャー企業にて数多くの企業の採用活動に携わる。2016年にLGBT採用支援を行う新会社の立ち上げに関わることで、 企業にとって LGBTに配慮しないことがいかに損失を生んでいるかを実感。「より多くの企業様にLGBTダイバーシティを広めたい」と、株式会社アウト・ジャパンへ2017年入社。現在は大手企業から中小・ベンチャー企業まで幅広くLGBTダイバーシティのコンサルティングに携わる。

シンガーソングライター・
LGBT啓発活動家・元警察官
コッフェ KOTFE
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KOTFE (コッフェ)・勝山こうへい
大阪府出身、東京都在住。1982年生まれ。9歳の頃、同級生の男の子を好きになり GAYを自覚する。幼少期から約20年間、 柔道に打ち込む日々を送り、 29歳で現役引退。 現在、柔道五段を有する。約16年間、 警察官として街の治安維持に貢献してきたが、 GAYをカミングアウトし、 ありのままの自分で生きたいと思い、 2021年春退職。

▼KANE and KOTFE Youtubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCIAddIka4Sd2vKy0Yw3TQhw

デジタルホールディングスグループは、LGBTQ+の権利を啓発する活動が行われるプライド月間(※1)に合わせ、ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン推進室(以下、DE&I推進室)主催の社内イベントを、2023年6月20日(火)に実施しました。
本イベントは、2018年にLGBTQ+を題材に公開された短編映画『カランコエの花』(https://kalanchoe-no-hana.com/)の上映会と、LGBTQ+への理解を深めるためのトークセッションの二部構成で行いました。
こちらは、上映後に行ったトークセッションの内容をまとめたレポートです。

(※1)プライド月間とは、毎年6月に日本やアメリカなど世界各地でLGBTQ+の権利を啓発する活動・イベントが実施される期間のこと。

 

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▼開催背景
当社グループでは、ESG経営の一環として2021年3月にDE&I推進室を設立し、グループ社員一人ひとりの価値観やライフステージなどの多様性を尊重しながら、個の強みや能力を最大限に発揮できる社内文化や、制度づくりに取り組んでいます。
本イベントも、社員一人ひとりが多様性の一つであるLGBTQ+について知り、考え、理解し、明日からできることへつなげることを目的にしています。

▼映画概要
『カランコエの花』は、とある高校2年生のクラスで、ある日唐突に、保健教師がLGBTQ+についての授業を行ったことをきっかけに、クラス内にLGBTQ+当事者がいるのではないかという噂が広まっていく様子を描いた作品。当事者を取り巻く周囲の人々にフォーカスを当てることで、彼らの過剰な配慮によって翻弄されていく当事者を映していることが特徴。2017年・第26回レインボー・リール東京(東京国際レズビアン&ゲイ映画祭)にて、グランプリを受賞。

▼トークセッション
映画上映後は、株式会社アウト・ジャパン代表取締役である屋成和昭氏をファシリテーターに、オープンリーゲイであり、元警察官、現在はシンガーソングライターとしても活躍されているKOTFE氏をゲストに迎え、映画を振り返りながらLGBTQ+について考えるトークセッションを行いました。

・ファシリテーター(屋成 和昭氏)

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・ゲスト(KOTFE氏)

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「レズビアンなんかじゃない」のセリフに隠れた無意識の偏見

屋成 私とKOTFEさんは『カランコエの花』を題材に、こうしたイベントを繰り返し開催していますが、何度観ても気づきや感じることの多い映画だと思います。KOTFEさん、今日の『カランコエの花』はいかがでしたか?

KOTFE 今日、一番ささったポイントは、主人公である月乃の「桜はレズビアンなんかじゃない」という言葉です。月乃は、教室の黒板に書かれた「小牧桜はレズビアン」の文字を見たクラスメイトの好奇の目から、桜を守ろうとしたのでしょうが、桜と同じく私の心にもグサッと来ました。

“なんかじゃない”の言葉には、「レズビアン=良くない存在」という主人公の無意識の偏見があるのではないか、とKOTFE氏は話します。また、劇中ではレズビアンの桜が主人公の月乃に恋心を抱いていることが描かれており、「大好きな月乃に存在を否定されたような気持ちになったのではないか」と、KOTFE氏は桜の心情を語ります。

屋成 皆さんもたとえば、「日本人なんかじゃないよ」って言われたら、「“なんかじゃない”って、どういうこと?」って気持ちになると思うのですよね。月乃に悪気はないのだろうけれど、あの切迫した場面で出てくる言葉にはその人の本心が現れるのではないか、と。そこが、KOTFEさんのささったポイントということですね。
 

カミングアウトの重さ

劇中では、黒板に書いたのは桜本人だったことが、桜から月乃に明かされます。桜のこの行動を、KOTFE氏は「カミングアウトできない自分が、クラスのチームワークを乱していると責め、懺悔のような気持ちからこの行動を取ったのではないか」と、考察します。

屋成 KOTFEさんは警察官時代、カミングアウトはゲームアウトと同じだと感じ、周りに言えなかったと話していましたよね。

KOTFE 当時はカミングアウトしてもデメリットしかないと感じていました。周囲の理解度も低かったので「理不尽な人事異動にあうんじゃないか」「昇進に響くんじゃないか」と思いながら勤務をしていました。
 

認識不足の「3K」

屋成氏は、警察官時代のKOTFE氏がカミングアウトできなかった気持ちと、桜がレズビアンであることを隠していた気持ちにはシンクロする部分があるのでは、とKOTFE氏に問いかけます。これを受けたKOTFE氏は、「認識不足の3Kによる偏見の目が怖くて言えなかった」と、当時を回想。3Kとは「気持ち悪い」「怖い」「かわいそう」のこと。これら三つの偏見は、まだまだ社会にあるとしたうえで、ご自身の体験を交えながらこのように解説されました。

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・「気持ち悪い」
同性愛者=異常な人、特殊な人、変態といった感覚を世間はまだまだ持っていると思っています。かくいう私も9歳で自分がゲイだと気づいたとき、「自分って変態なんだ」と自己否定しました。その背景にあったのが、とあるバラエティ番組の同性愛者のキャラクターです。変態チックに脚色されたこのキャラクターが一世を風靡した時代と、私が性的少数者であることを自認した時代が重なっているんです。学校ではクラスの誰かがそのキャラクターのモノマネをしていて、周りが「気持ち悪い」って笑いながら逃げ回っているし、家ではそのバラエティを観ている両親が「こういう人もいるんだね」と顔をゆがめながら話すので、口が裂けても言えないと思いました。

・「怖い」
私がゲイであることを知られていなかったころの話ですが、飲み会の席でLGBTQ+のことが話題になったとき、男性上司から「俺のことを襲うなよ」と、笑いながら言われたことがありました。私も「こっちだってタイプがある。そのような発言を平気でするあなたは、タイプじゃない」と思いましたし、そもそも「襲う」のは犯罪行為です。このエピソードに代表されるとおり、LGBTQ+=犯罪者扱いという風潮がまだまだあり、自分もそのように受け止められることが嫌で言えませんでした。

・「かわいそう」
私は、12年間にわたり、パートナーと家族同然に暮らしていますが、法律上は赤の他人の扱いなので、たとえばどちらかがケガや病気をしても手術の同意書にサインできないし、面会もできないかもしれません。こうした側面は事実としてあるものの、一般の方に話すと「かわいそうな人たち」、「何かサポートしてあげなきゃ」のように、上から目線で見られることを警察官のころから感じていました。みんなと同じように仕事をしてパフォーマンスを上げているのに、私はかわいそうな人で同僚はそうじゃないことがシンプルに疑問でした。
 

知識や理解の無い人がテーマとして扱う怖さ

屋成氏は、3Kに共通していることとして、LGBTQ+に対する理解や知識の無いことが挙げられる、と指摘します。LGBTQ+に対する理解や知識の無い場面として、保健教師である花先生が、体調不良で休んだ教師に代わり、脈略なくLGBTQ+に関する授業を始めるシーンを挙げています。これは、花先生を信頼し、心を許した桜が、自分の好きな女の子のことを花先生に語ったあとに起こったことです。

KOTFE 私は、花先生もある意味被害者であると感じます。知る機会、学ぶ機会が、いままでの人生に用意されていなかったのだと思います。
いまは学校で、LGBTQ+を教養として学んでいると思うのですが、皆さんの年代では、LGBTQ+について学ぶ機会がなかった人のほうが多いのではないでしょうか。それは、花先生も同じであり、だからこそ、誰もハッピーになっていないのだと思います。

屋成 あの授業が始まって桜はどんな表情をしていたのだろうって皆さんも想像したと思うのですが、きっと驚愕したと思うんですよね。

KOTFE 桜は、めちゃくちゃ怖かったでしょうし、してほしくなかったと思います。
私が、警察組織にいた当時、LGBTQ+の研修はほぼありませんでした。一方で、パートナーが所属する消防組織は進んでいて、本人も研修に参加したそうです。ですが、「恐怖だった」と言っていましたね。専門家じゃない人が講師で「あなたはどう思いますか?」と、どんどん質問を振られたそうです。LGBTQ+の当事者がその場にいないことを前提に話の進む感覚があって「バレてしまうんじゃないか」という怖さがあったそうです。
 

子どもたちにはどう伝えていけばよいのか

イベントは終盤に差し掛かり、トークセッションでは社員から質問にあがった「子どもたちにはどのように伝えていけばよいのか」にテーマが移ります。

KOTFE これは、ある意味、人権教育だと思います。親御さんや学校が子どもたちに教えていかないことには、差別的な発言は無くならないと思います。
いまは、LGBTQ+を題材とした絵本やYouTubeの無料動画など、教えるにしてもたくさんの選択肢があります。加えて、LGBTQ+に関するイベントに参加するなど、勉強ではなく日常レベルで触れる機会を設けていくことが大切だと思います。

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屋成 ある意味、子どもは大人の鏡ですから、社会の在り方、大人の発言が変わらない限り、理解は進んでいかないと思います。男性がスカートを履いていることを気持ち悪いと思うのも、どこかで何かしらのインプットがあったはずです。そこは感情を否定するのではなく、「それでもいいんじゃないの」「男性は履いたらダメなの?」「それは違うんじゃないの」と言わなければならないと思います。これをしないことには、再生産され続けている今と同じことが繰り返されるだけですから。
そして、機会のあるごとにLGBTQ+について考えることを経験していれば、その状況が特殊なことではなくなり、そういった場面に遭遇してもスルーするようになるとも思います。「いろいろな人がいるんだよ」と、事あるごとに伝えていくことが大切と思っています。


明日から、今日からでも私たちにできること

40分間にわたり繰り広げられたトークセッションからは、LGBTQ+に対する理解の浸透はまだまだ道半ばであることが浮き彫りになりました。しかし、ここから一歩前進するために、今日から私たちはどのような意識のもと、どのような行動を示していくのがよいのでしょうか。その一つの解として、屋成氏、KOTFE氏は下記のメッセージを発信し、セッションを締めくくりました。

KOTFE 映画『カランコエの花』は、2018年に公開された映画ですが、ここに描かれていることは、学校や職場でまだまだ起きています。「この映画、ちょっと古いよね」といわれるくらい社会の理解が進んでいればよいのですが、5年が経っても「あるある」「分かる」と感じるのであれば、日本は進んでいないと思っていただいてよいでしょう。
統計上、LGBTQ+の人は約10%いると言われています。10人に一人、です。けれども、「まさか隣の人はそうじゃないだろう」「身近にはいないだろう」「職場にはいないだろう」と思っている方は、まだまだ多いと感じます。ただ、その思い込みを無くすことをファーストステップとして、想像力を働かせながら生活するだけで、言動は自然にアップデートされていくと思います。

屋成 チャットでも、左利きの例えをいただいていますが、現在まで左利きの人に使いやすい製品がどんどん作られてきたことは重要なポイントです。これは、「左利きの人にとって不便だよね」という想像力を持って、さまざまなことに取り組んできた人がいる、ということです。
そういう人がいる前提で考えると、カミングアウトは強要するものでも、言いたくないのにわざわざ言うものでもない社会をつくることが大切だと思います。だからといって、何も考えなくてもよいわけではなく、不便なことを変えていくためには、いろいろなことを知っていく必要があります。
 そう考えると、大事なことは、このイベントがあることを知らない人に知ってもらうことです。皆さん一人ひとりが「今日、こういう話を聞いたよ」「また機会があるなら、ぜひ参加するといいよ」と、広げてもらいたいと思います。

イベント参加者からは、「座学だけだとやはり自分事化しづらいので、このような機会があるのは良い」「理解しているつもりだったが、まだまだ自分自身にも無意識バイアスがあると思った」「こういうイベントに参加してみようと思わない人たちの意識をどうするかが難しいと思った」など、さまざまなコメントが寄せられました。
当社グループでは、今後も相互理解促進の取り組みや一人ひとりが自分らしく活躍できる環境づくりを進めてまいります。